春なので自然に緑茶が飲みたくなるのですが、この冬はずっと坦洋工夫紅茶を飲んでいて、朝の習慣になってしまいました。
坦洋工夫(tanyang gongfu タンヤンコンフー)というのは、福建省福安市坦洋村産の紅茶です。
福安は、白茶ベースの工芸茶やジャスミン茶の産地でもあるのですが、もともとは紅茶の名産地でもありました。
ここ数年の中国での紅茶ブームのお蔭で、この銘柄も息を吹きかえしたかのようです。
福安市内にはあちこちにこの銘柄の派手な看板や広告があり、もはや完全に紅茶の町になっています。
郊外には人口の半分以上がお茶で生計を立てている村もあるので、日本人的に言うならば、さながら「紅茶で村おこし」ということになるかと思います。
味のほうは、なんともいえないまろやかさと、舌全体をふわりと包みすうっと徐々に広がる微妙な甘さが特徴です。
ミルクや砂糖なしで十分に甘みがあり、ストレートで啜って味の広がりや口中での変化を楽しみます。
芳醇というような形容がふさわしい茶葉で、ほかにいい表現が思い浮かびません。
質はやはりピンきりなのですが、そこそこの値のものでゴールデンチップ盛りだくさんの茶葉に出会えます。
ゴールデンチップというのは、金色に見える芽のことで、新芽のいいとこどりのようなものです。
この按配が味の奥行に一番影響しているので、高値のものはすべてゴールデンチップだったりもしますが、普段飲みには、、、(略)という気もします。
小売でものすごい気合のはいった高級パッケージ品がべらぼうな値で売られていることもあり、 もちろんそれはそれで一つの商売なのだろうとは思うのですが、お茶本来の存在意義からは離れてしまうので、個人的にはちょっと複雑な気持ちにもなります。
(もっとも、ギフトとしての需要は確かにあるので、その路線自体を決して否定はしません。
というか、要はそれが成り立ってしまうだけのマーケットがいまの中国にはあるということなのですが。)
ただ、坦洋工夫はまだ知名度が美味しさを凌駕していない銘柄なので、良質のロットが入手しやすいという面もあります。
お茶好きにとっては間違いなくコスパのいい茶葉に入るでしょう。
正直、これを飲んでいるとほかのお茶が飲めなくなってしまいます。
工夫というと、日本語では「くふう」で、あれこれ創意工夫するの工夫です。
中国語の工夫(カンフー)はというと、音が同じなので、ついつい功夫(カンフー)を連想してしまいます。
ちょっと検索すると、ふたつの言葉が同じように使われているケースもあるようで、へえと思いますが、お茶のほうでは「工夫茶法」として有名で、茶壺にお湯をかける中国茶の飲み方として日本でもよく紹介されます。
てっきり坦洋工夫の「工夫」もそこから派生したのだろうと思っていたのですが、どうも事情は逆のようで、時代をさかのぼると、19世紀には工夫茶=福建紅茶として意味が定着していたようです。
当時の福州の税関に「South China Congou(=Gongfu)」という項目があり、もっぱら紅茶のことを指しています。
19世紀アメリカ人は朝ベッドの中で砂糖たっぷりの紅茶を飲んでからでないとベッドから起きあがれないという習慣を持ち、また、英国人のアフタヌーンティーで「Cougou/カングー」といえば、福建紅茶=ブラックティーの等級の一つでした。
もともとは、武夷山の紅茶のことで、「小種スーチョン」に次ぐ等級の呼称として使われていたようです。
工夫茶=紅茶という言葉が普及すると、華南や台湾の茶人の間では、いつの頃からか自分たちの茶の飲み方を「工夫茶法」と名づけるようになり、それを商売に応用しました。
なので、いま知られている中国茶の入れ方(中国茶芸)は、日本の茶道のような伝統というよりも、むしろ、20世紀の中国茶産業が生み出した拡販ツールという性格のほうが強いといえます。
実際に陸羽の「茶経」を読んでみると、そこで描写されている茶道具には、日本の茶道のほうにこそその面影を感じます。
目下の坦洋工夫と18-19世紀のアメリカ人・英国人の味わっていたカングーがどこまで相通じるかは定かでないのですが、クセになるというか中毒性があるというか、まことにお茶は嗜好品であるという点において時代と場所は問わないということなのでしょう。
ちなみに、人づてに聞いた話では、現在の坦洋工夫の輸出先はロシアがメインのようです。
小林
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